「都民の日」(10 月 10 日)に「浜離宮恩賜庭園」が無料公開されるイベント
2025 年 10 月 1 日(水)
イベント日数:
1 日間
場所:
浜離宮恩賜庭園(中央区浜離宮庭園1-1)
毎年「都民の日」(10 月 1 日)は、「東京都建設局」が管理している「浜離宮恩賜庭園」の入園料が無料になります。
平仮名表記
はまりきゅうおんしていえん
開園時間
午前 9 時 ~ 午後 5 時
(入園は午後 4 時 30 分まで)
主な植物
クロマツ、タブノキ、トウカエデ、サトザクラ、サルスベリ、モミジ、ケヤキ、エノキ、ハゼノキ、ウメ、ツバキ、ハナショウブ、アジサイ、サツキ
開園面積
250,215.72平方メートル(平成 30 年 4 月 1 日現在)
開園年月日
昭和 21 年(1946 年) 4 月 1 日
管理
東京都建設局
「浜離宮恩賜庭園」について
潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。
潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。
旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池でした。
しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、ここだけです。
この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。
ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。
その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。
以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。
明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。
その後、関東大震災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失したり樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年(1945年)11月3日、東京都に下賜され、整備のうえ昭和21年(1946年)4月有料公開されるに至りました。
なお、国の文化財保護法に 基づき、昭和23年(1948年)12月には国の名勝及び史跡に、同27年(1952年)11月には周囲の水面を含め、国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。
参考情報
通常の入園料
一般 300 円
2025 年 6 月 30 日 投稿